死線を越えて

 

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吉村孝雄《いのちの水》591号2010年5月 p.2

 [賀川豊彦(1888 – 1960)が東京の改造社からベストセラー『死線を越えて』を発刊したのは1920年10月であった]。


「死線を越えて」は、賀川豊彦の自伝的小説のタイトルとして有名である。これが初めて世に出されたのは、今から九〇年ほど前、当時まだできてまもない出版社であった改造社からであった。その出版社の最初の単行本であったが、出すときから文章が下手だとか内容も読者を引きつけるものでないといった反対が多かったという が、なんとか出版された。その結果は、まったく予想外で、一年あまりで百万部という驚くべきベストセラーとなった。

最近その復刻版が出たので購入した人もいると思われるが、この小説は最初から読みづらい。人を引きつけるような内容から始まっているのでなく、途中で投げ 出す人も多いようだ。

この「死線を越えて」は三部作で、後に続く二部、三部は「太陽を射るもの」「壁の声をきく時」である。三部作は合計で四百万部に達するベストセラーになり、英語や独語、仏語などに翻訳され、世界にもその名が知られるようになった。印税のほとんどは、労働運動、農民運動、社会事業などの活動につかわれ、運動をささえる資金源になった。(エンカルタ百科事典より)

この小説が信じがたいほど多くの部数が売れたのは、その内容も当時の人の関心を呼んだのはもちろんであったろうが、そのタイトルが人の心を惹くものであったからだと考えられる。

だれでも、本を買うときそのタイトルを見る。本にかぎらず、映画でも毎日の新聞でもタイトルによって選ぶということは多い。

「死線を越えて」 それは、誰もが、心のなかでひそかに願っていることである。人間は死んだようになっているというのは、人間を見る目を最も鋭く持っている 聖書にある。

…あなた方は、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。(エペソ書二の一)

…正しい者はいない。…皆迷い、だれもかれもが役にたたない者となった。…(ローマの信徒への手紙三の十~十二より)

そのような現状を認めない人でも、すべては死という一線を越えることができず、みんな死という力の前には倒れていくのだと感じている。

どんな大国も歴史のながれの中においては、みな死んでいく。滅びていく。

それだからこそ、そのような死線を越えるものがあるのか、という魂の深いところでの問いかけと希望によってこの本も読者の関心を駆り立てたという側面がある。

死線を越える、それは過去のベストセラーの題名というにとどまらない。現代に生きる私たち、否、あらゆる人間が心の深いところで願っていることなのである。

そして、キリストの十字架は、罪に縛られて死んでいる魂を導いて死線を越えて、新たな命に再生させたのである。さらに復活のキリストは、万人がただ信じる だけで、その死線を越える永遠の命を与えられるということを指し示しているのである。

賀川のこの著作はかつてのようにベストセラーになることはないであろうし、読む人はごく一部にとどまるかも知れない。

しかし、万人を「死線を越えて」生かす力を持っている聖書こそは、永遠のベストセラーであり続けるであろう。

  

                                                             

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