羽鳥又男(1892-1975)略歴

 

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富士見村関連年譜(又男履歴書より抜粋)
明治25年4月20日 群馬県勢多郡富士見村大字石井825番地にて羽鳥多三・よう の四男として出生。
学歴
明治39年4月    群馬県勢多郡石井尋常高等小学校全科卒業
同年12月      東京私立正則予備学校にて、中学校第2学年修了証を受ける。
明治42年6月16日 検定により群馬県尋常小学校準教員の免許を得る。
同年   7月23日 母校石井尋常高等小学校尋常科准訓導となる。
大正元年 8月    教育会開設講習会にて法制科を受講
同年12月10日   勢多郡石井実業補修学校准訓導心得兼務を命ぜられる。
大正2年12月2日  検定にて尋常小学校本科正教員免許取得。
同年12月31日   群馬県石井尋常高等小学校訓導に任ぜられる。正教員勤務。
大正4年12月21日 小学校令施行規則第126条第2号前段規則により退職。            
(疫病)
結婚
大正13年4月24日 品川ちゑ(勢多郡富士見村大字米野58番地、戸主品川東海姉、亡 品川安造・志げ三女)と結婚。
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台湾における略暦 
羽鳥又男葬儀における近森一貫氏式辞に加筆
大正5年の夏、台湾に渡り、その動機は、郷里の親戚にて畏敬する台湾医学界に名をなしておられた羽鳥重郎氏を慕ってのことであった。
大正7年台湾総督府雇員として中央研究所に勤務、その後、累進、大正15年9月、総務官房秘書課勤務となり、昭和9年総督府理事官に栄進、ついで昭和11 年、総督官房人事課兼秘書官室理事官となり、中川、小林、長谷川、三代の総督の側近として職責をはたした。非常な信頼をえて、 昭和17年4月台南市長となり、戦時下の困難な時期によく市政を掌握大きな業績をあげた。特に台湾人が心密かに願っている孔子廟の修復と式典の復活ならびに文化財保護の視点から重要文化財を疎開させたり修理したりして保全に務めた。老朽化の激 しい赤嵌楼などを募金して改修した。戦時中に軍の金属類供出令によって供出された、開元寺の鐘を溶鉱炉に投入される寸前に保管した。この鐘は台湾で最初に鋳造された歴史的に重要な文化財であり、今でも朝夕に荘厳な音色を寺内外に響かせている。内台の区別なく、多様な価値観を認め共生する融和政策をとるなどしたことは、 戦後60年の今も台湾の人から深き感謝と尊敬の念を寄せられている所以であろう。昭和20年3月、正五位勲5等瑞宝章に叙せられた。
羽鳥又男は日本の敗戦後も中華民国の台南市に残り、台南市政府の行政アドバイザーをしながら、また技術移転のために留用されている日本人のお世話をした。その間日本人子弟のために旧台南高等工業専門学校の教室を使わせていただいた。それで敗戦国日本人中学生の授業が継続できたのであった。その中学生から日本を代表する学者や司法関係者が輩出している。

昭和22年 (1947年)1月、台湾より引揚げ、佐世保港に上陸、引揚援護院長官・元日本YMCA同盟総主事の齋藤惣一氏の勧めをうけ、国際基督教大学建設委員会主事 として、専任職員第一号として就任、現三鷹市大澤の敷地40余万坪に及ぶ広大な土地の買収に力をふるった。後援会には日銀一万田総裁を会長として推挙、当 時、1億5千万円という多額な募金に成功した。爾後 大学の設立並びに整備に専念し、その貢献により昭和30年五月同大学理事長並びに総長より表彰され た。昭和41年現職を退き、嘱託として昭和47年3月まで関係し、同大学評議員として寄与したのであった。
羽鳥又男がキリスト教信仰を持つにいたったきっかけは、小学校の同窓会の時に前橋市にあるキリスト教主義の共愛女学校の校長先生である青柳新米(しんべ い)先生をおまねきして、講演会を開いたそうである。この先生は「一里の行役を強いられなば、2里ともに行け」と言う山上の垂訓のイエスのみ言葉を引用し て、「あなた方は何事この意気込みでもって積極的に実行しなければならない。」と非常に積極的な生き方を力強く訴えたられたようで、講演のなかで同じ上州 の出身者である、新島襄先生の名前があげられ、また当時説教者として活躍されておられた海老名弾正先生の名前もあげられた。ここでキリスト教の積極性と実行力を身に着けることに心うたれたと言う。その海老名弾正先生が台湾に来られての台湾伝道の時には3日も通い拝聴し感動、信仰をもとめるようになった。
羽鳥又男と学歴
羽鳥又男は出身校を聞かれると、市長時代でも国際基督教大学時代でも「群馬県勢多郡富士見村の石井尋常高等小学校卒業です」と応じていた。そしてそれを誇りにしていた。国際的な大学教授達の中にあって異色な存在であった。
中学年時に東京の資産家の養子に出され中学に入れてもらえたが、病弱のために国元に返されたのであった。
彼の豊富な文化的知識や人に対する優しさ平等感覚は、豊富な社会活動実践の場で養われたと思われる。
羽鳥又男とボランティア活動
羽鳥又男は教会内外において非常に広い範囲にわたり積極的な奉仕活動をして偉大な足跡を残している。
彼は25歳でキリスト教信仰��持つと同時に、YMCAの活動に積極的に参加した。戦前の台湾では特に青年文化活動に参加、外国からのア������ィストの招聘や、プール建設などに一生懸命であった。主事の近森一貫氏不在の時はボランティアでスタッフの役割を担っていた。
引揚げ後は東京YMCAの会員として、武蔵野YMCA理事長として尽くし、また日本YMCA同盟委員、常務委員などをなし、1971年日本YMCA同盟総 会にて特別功労賞を受けている。1975年5月には東京YMCA名誉会員第一号に��挙された。
救癩活動では日本キリスト教救癩協会理事、更には台湾からの留学生受け���れのための施設高砂協会��理事などで奉仕していた。 台南会のこと
台南からの引揚者のため台南会を組織し初代からの会長であった。毎年10月に行なわれ���総会は昨年第���3回であった。今も100人を越える参加者があり台湾駐日代表部からも積極的な参加がある。
なお 陳水扁台湾総統や日本で活躍の歌手で版画家のジュデ���オングさんも台南出身である。

故 羽鳥又男 1975年9月30日召天
葬儀1975年10��3日(金)午後2時  於 国際基督教大学教会
故人略歴詳述  近森一貫氏(日本YMCA同盟)

2006年4月に加筆(三男羽鳥直之)

                          

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